自然と自分の
タイミングを合わせる。
誰もに開かれた環境で。

藤田一茂

[プロスノーボーダー]

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KAZUSHIGE FUJITA

PROFESSIONAL SNOWBOARDER

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樹々の立ち並ぶ真っ白な雪原を、軽やかに、自在に滑り抜けていく。その滑らかで独自のラインを描く滑りは「スノーサーフ」と呼ばれ、国内外に向けてスノーボードカルチャーの魅力を発信する藤田一茂さん。現在は長野県白馬のバックカントリーを中心に映像制作やパークのプロデュースも手掛け、雪の上を滑ることを通じて、大きく変化する自然環境に向き合う藤田さんにお話を伺いました。

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環境に合わせて
フォームを変えて
自分のタイミングを
自然と合わせていく。

一度きりの波に乗るように
フォームを変容させていく。

――雪の上を滑ることについて。プロスノーボーダーとして活躍されるようになって10年以上、藤田さんがスノーボードを続けられる理由、大切にされていることを教えてください。

スノーサーフィンという言葉がありますが、同じ波は二度と来ないですよね。雪も同じで、豪雪の年もあれば小雪の年もある。同じ斜面でも今日と明日では全く違いますし、その日の何時間だけ状態が良かったり、場所やひとによってもコンディションは変わってきます。スノーボードをはじめたばかりの頃はとにかく誰よりもすごいことをするという技やスキルが重要だったのですが、雪山を滑るバックカントリーがメインになってからは、環境に合わせて自分のフォームを変えていくようになりました。スキルというよりも自分のタイミングを自然とどれだけ合わせていけるかを大事にしています。

――滑る環境が変化することで、意識にも変化が?

そうですね。ジャンプで競技していた頃は、その年を振り返ってみても雪が多かったか少なかったか、記憶がないんです。ただ自然の中で滑るようになってからは、良い雪を滑るために天気予報も積雪量もよくみるようになりました。ここ数年で夏にもサーフィンをするようになり、1年中天気を意識するようになりましたね。波なんて振り返ったら消えていますけれど、一番面白いのは振り返ったら何も見えないような一度きりの滑りでいかにいいラインを滑るのか。斜面に対して一筆書きするよう波に逆らわずに、アイデアを少し加えて滑る。そういった自然の変化や、滑った場所は写真としても記録していますし、体験としてもインプットされていきます。その体験をパークのプロデュースや映像制作を通じてアウトプットすることで、滑る楽しさをひとに伝えていきたいと考えています。

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――滑る環境が変化することで、意識にも変化が?

そうですね。ジャンプで競技していた頃は、その年を振り返ってみても雪が多かったか少なかったか、記憶がないんです。ただ自然の中で滑るようになってからは、良い雪を滑るために天気予報も積雪量もよくみるようになりました。ここ数年で夏にもサーフィンをするようになり、1年中天気を意識するようになりましたね。波なんて振り返ったら消えていますけれど、一番面白いのは振り返ったら何も見えないような一度きりの滑りでいかにいいラインを滑るのか。斜面に対して一筆書きするよう波に逆らわずに、アイデアを少し加えて滑る。そういった自然の変化や、滑った場所は写真としても記録していますし、体験としてもインプットされていきます。その体験をパークのプロデュースや映像制作を通じてアウトプットすることで、滑る楽しさをひとに伝えていきたいと考えています。

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一度きりの波に乗るように
フォームを変容させていく。

――雪の上を滑ることについて。プロスノーボーダーとして活躍されるようになって10年以上、藤田さんがスノーボードを続けられる理由、大切にされていることを教えてください。

スノーサーフィンという言葉がありますが、同じ波は二度と来ないですよね。雪も同じで、豪雪の年もあれば小雪の年もある。同じ斜面でも今日と明日では全く違いますし、その日の何時間だけ状態が良かったり、場所やひとによってもコンディションは変わってきます。スノーボードをはじめたばかりの頃はとにかく誰よりもすごいことをするという技やスキルが重要だったのですが、雪山を滑るバックカントリーがメインになってからは、環境に合わせて自分のフォームを変えていくようになりました。スキルというよりも自分のタイミングを自然とどれだけ合わせていけるかを大事にしています。

――滑る環境が変化することで、意識にも変化が?

そうですね。ジャンプで競技していた頃は、その年を振り返ってみても雪が多かったか少なかったか、記憶がないんです。ただ自然の中で滑るようになってからは、良い雪を滑るために天気予報も積雪量もよくみるようになりました。ここ数年で夏にもサーフィンをするようになり、1年中天気を意識するようになりましたね。波なんて振り返ったら消えていますけれど、一番面白いのは振り返ったら何も見えないような一度きりの滑りでいかにいいラインを滑るのか。斜面に対して一筆書きするよう波に逆らわずに、アイデアを少し加えて滑る。そういった自然の変化や、滑った場所は写真としても記録していますし、体験としてもインプットされていきます。その体験をパークのプロデュースや映像制作を通じてアウトプットすることで、滑る楽しさをひとに伝えていきたいと考えています。

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比べることのできない
自分だけの滑りを求めて。

――スロープスタイルやビッグエアを経て、スノーサーフへ。現在のスタイルに至ったきっかけにはどのような経緯があったのでしょうか?

数年間、家庭菜園をしていた時期があるのですが、雪と同じで土のサイクルを観察してみると、人間のサイクルよりも遥かに長いスパンで循環していることがわかります。変化するのもとても遅い。その頃くらいから考えが変わったような気もしています。誰とも勝負しない、比べられないところに行きたいなと。スノーサーフィンに出会った当時、まだぼくのようなフリースタイルの要素を取り入れて滑るひとは少なっかったんですね。先輩たちがやってきたことを自分の世代でアップデートしたいなと。この5年くらい続けてきて、今に至ります。

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――藤田さんは白馬五竜のスキー場で、パークのプロデュースもされています。どんな場所にしたいと考えられていますか?

スノーボードの用語に、「ライディングセッション」という言葉があるのですが、「セッション」はお互いを認め合って楽しむという意味。かっこいいかどうかはそのひとそれぞれだと思うので、誰もが新しい発見のできる場所をつくるというコンセプトでパークをプロデュースしています。通常だとジャンプができるよう縦ラインなんですけれど、フラットバーン(平らな斜面)だとアイデアを育みづらいので、ぼくらのパークは「地形パーク」といって、横に振って壁をつくり自分でアイデアを考え滑る形になっています。誰かの用意したラインではなく、自分で考えなくてはいけないので難しいのですが、競い合うのではなく、そのひとらしい滑りや面白みを見つけてもらえたらと。

比べることのできない
自分だけの滑りを求めて。

――スロープスタイルやビッグエアを経て、スノーサーフへ。現在のスタイルに至ったきっかけにはどのような経緯があったのでしょうか?

数年間、家庭菜園をしていた時期があるのですが、雪と同じで土のサイクルを観察してみると、人間のサイクルよりも遥かに長いスパンで循環していることがわかります。変化するのもとても遅い。その頃くらいから考えが変わったような気もしています。誰とも勝負しない、比べられないところに行きたいなと。スノーサーフィンに出会った当時、まだぼくのようなフリースタイルの要素を取り入れて滑るひとは少なかったんですね。先輩たちがやってきたことを自分の世代でアップデートしたいなと。この5年くらい続けてきて、今に至ります。

――藤田さんは白馬五竜のスキー場で、パークのプロデュースもされています。どんな場所にしたいと考えられていますか?

スノーボードの用語に、「ライディングセッション」という言葉があるのですが、「セッション」はお互いを認め合って楽しむという意味。かっこいいかどうかはそのひとそれぞれだと思うので、誰もが新しい発見のできる場所をつくるというコンセプトでパークをプロデュースしています。通常だとジャンプができるよう縦ラインなんですけれど、フラットバーン(平らな斜面)だとアイデアを育みづらいので、ぼくらのパークは「地形パーク」といって、横に振って壁をつくり自分でアイデアを考え滑る形になっています。誰かの用意したラインではなく、自分で考えなくてはいけないので難しいのですが、競い合うのではなく、そのひとらしい滑りや面白みを見つけてもらえたらと。

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環境が変化したとしても
誰もが集えるフィールドを。

――年々、温暖化による積雪量の変化が著しくなっています。環境が変わっていくことに対して、どう思いますか?

ぼくらが直接的に環境を変えることはできないと思っています。ここ数年で、関西圏のスキー場は降雪量が大きく減ったことで次々になくなっていますし、自分がスノーボードを始めるきっかけになった地元、京都のスキー場も、10年ほど前に潰れてしまった。けれどそれを嘆いていても仕方がないかなと。業界のなかにはカルチャーをなくさないように努力しているひともたくさんいます。今日スキー場で「スキー板を自分でつくっているんだ」と話かけてくれたひとも70代の方でしたけれど、高齢になってからも元気に滑られている方は雪国にはたくさんいるんですよね。そういうひとたちとぼくらが関係をもつことで、次の世代にも繋いでいく縦のラインができたらいいなと。たとえ雪が少なくなっていったとしても、誰もが楽しめるフィールドをつくっていきたいと思います。

――環境が変容していくなかで、スノーボードというカルチャーを通じて、見据えていることがあれば教えてください。

ニュージーランドにはコマーシャルフィールドとクラブフィールドというものがあるんです。コマーシャルフィールドは営利目的のスキー場で、クラブフィールドはクラブ員の会費やボランティアで賄われているスキー場。年会費がありボランティアデーが設けられていて、ボランティアをするとシーズンパスがもらえる仕組み。色々な人が集まっているので、大工さんが壊れている小屋を修理したり、木材屋さんは木を切り出したり。リフトのロープも、ムール貝の養殖をしているひとが出してくれていたりする。みんなフィールドが好きで守りたいというだけなんですよね。自分たちが通いたいからお金も時間も惜しまない。コミュニティ自体も誰が入ってきてもウェルカムで、そこにいけば誰かいる。そういったコミュニティが日本でもできたらいいなと。近い将来、日本で生まれたコミュニティが、スキー場を通じてコミットすることで、なにか社会に貢献するような仕組みや取り組みができたらいいなと思っています。

競い合うのではない
誰もに開かれた場所。
その人にしかできない
滑りを見つけてほしい。

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藤田一茂

藤田一茂

Kazushige Fujita

プロスノーボーダー

1988年1月24日生まれ、カメラマン、ライター、映像制作、ロゴデザイン、キッズキャンプの主催者、多彩な顔を合わせ持つ京都出身のプロスノーボーダー。日本三景・天橋立で有名な京都県宮津市で生まれ、日本海と山に挟まれた小さな町で育つ。15歳でスノーボードと出会い、20歳からプロスノーボーダーのキャリアを開始。ビッグエアーなどのコンテストでの活躍を経て、現在ではバックカントリーでの撮影を中心にスノーボードの魅力を創造する活動を行っている。

藤田一茂

Kazushige Fujita

プロスノーボーダー

1988年1月24日生まれ、カメラマン、ライター、映像制作、ロゴデザイン、キッズキャンプの主催者、多彩な顔を合わせ持つ京都出身のプロスノーボーダー。日本三景・天橋立で有名な京都県宮津市で生まれ、日本海と山に挟まれた小さな町で育つ。15歳でスノーボードと出会い、20歳からプロスノーボーダーのキャリアを開始。ビッグエアーなどのコンテストでの活躍を経て、現在ではバックカントリーでの撮影を中心にスノーボードの魅力を創造する活動を行っている。

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