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アスリートとして、母として、高みに挑み続ける
オリンピアン小野塚彩那の第4章
生まれ故郷の新潟県魚沼市でスキーを始め、基礎スキー、アルペンスキー、スキーハーフパイプという競技の世界で活躍してきたオリンピアンの小野塚彩那さん。2019年1月にハーフパイプからの現役引退を表明しフリーライドで活躍するようになった矢先、妊娠・出産というライフステージの大転換を経験。アスリート活動と育児の両立に葛藤しながら、初めて映像制作を行なった。この秋公開されるドキュメンタリー作品『MOMENTAL』へかける思いに迫る。
昨年から小野塚さんが取り組んでいた映像作品『MOMENTAL』がいよいよ公開されます!1シーズンを準備に費やし、北アルプスの山岳フィールドをライディングするドキュメンタリーと聞いています。初めに『MOMENTAL』はどんな作品なのか、妊娠、出産というライフステージの大きな変化を経験して、新しいプロジェクトに挑もうと思ったのはなぜなのか。作品制作の背景を教えてください。
コロナ禍まっただなかの2020年4月に妊娠が発覚、同年12月に出産を経験しました。妊娠・出産というのは想像以上に大変なできごとで、出産後はフィジカルもメンタルもボロボロ。身体の回復が優先だからトレーニングなんてできないし、不慣れな育児で手一杯。ライダーとしてフィールドに戻りたいという気持ちは人一倍強いのに、自分のことに費やせる時間はおろか、睡眠時間さえもとれない。「やりたい、でもできない」という葛藤を抱えて、とくに産後の1、2ヶ月はかなり追い込まれていたと思います。
でも、私がいま抱えているこの葛藤は、世の中の多くの女性が直面している生きづらさと同じだって気がついたんです。キャリア、資格取得、留学……やりたいことがあるのに、子育てや介護、家族の世話があって叶えられない。そんな自分にもどかしさを感じている。「やりたい」と口に出すことさえ憚られ、追い込まれている女性は少なくないのではないでしょうか。「やりたいことがあるなら、一歩を踏み出してみよう。母親になったってチャレンジを続けることはできるし、たとえ失敗したとしても、挑戦することに意味がある」。そんなメッセージを多くの人に届けたいと思って、このプロジェクトを始めました。
挑戦し、壁を越えようとする母親の姿を映し出したかった
バックカントリーを滑るようになって5シーズン目を迎えた小野塚さんの“MOMENTAL(現在)”をテーマにしていると同時に、“MOM(母)”となった“MENTAL(気持ち)”のあり方を映し出したものということで、『MOMENTAL』というタイトルに心象が表れていますよね。作品が完成して、あらためて今回のチャレンジでどんな手応えを感じたか、率直な気持ちを教えてください。
映像では当初、「不帰の嶮」(かえらずのけん、後立山連峰の「天狗の大下り」と唐松岳の間にある稜線の総称で、Ⅰ峰、Ⅱ峰北峰、Ⅱ峰南峰、Ⅲ峰(A/B/C)という険しい岩峰から成る)を滑る予定でいました。女性ライダーが「不帰の嶮」を滑走した映像や写真はないようで、私にとってもいい目標になると思ったんです。
これに挑戦したのは、私がTHE NORTH FACE アスリートのチームに入ってちょうど5シーズン目に入るところでした。ハーフパイプからフリーライドに転向して、初めは山のことを何も知らなかったから、山での経験値を積むところからスタートして。「FREERIDE WORLD TOUR」に出場するようになり、大会に出るたびにスキルアップしているという確かな手応えを感じられていました。いちばん楽しいじゃないですか、自分の成長を感じられるって。けれどもここ数年、そういう手応えを感じられなかった。ツアーに出ると、日々、ギリギリで駆け引きする感覚を味わえるんですが、日本にいるとそうはいかない。停滞感というのでしょうか、そういうもどかしさを感じていました。それを打破したいという気持ちが、「不帰の嶮」へのチャレンジに向かわせたんだと思います。
それで昨年10月に「不帰の嶮」のリサーチを始め、1月から撮影に入りました。7ヶ月を費やして準備をして、現地を下見して、天候を見ながらアタックできるタイミングを見計らって……。でも、山と自分のタイミングがなかなか合わないんです。「いける!」と思って稜線に上がっても爆風だったり、天候はよさそうなのに子どもの具合が悪くなって出られなくなったり。それで「不帰の嶮」は諦め、もともとチャレンジする計画があり、かつ、タイミングがうまく合致した剱岳を滑ることにしました。それが今年5月ですから、ギリギリでした。
母親になって変わったこと――できる範囲で全力を傾ける
「不帰の嶮」ではないにしろ、「剱岳のあんな岩峰をよく滑れるな」というのが多くのオーディエンスの感想だと思いますが、小野塚さんの印象に残っているのはどこでしょう?
実は、私の中のハイライトは滑りではなくて、滑った後の剱岳の登り返しでした(笑)。一本滑り終えてから山小屋に戻るまでの登り返しが辛すぎて……。最後は涙を流したんですが、達成感の涙なのか登りが辛いのか、もう自分でもわからないんです。
「不帰」に行きたかったし、正直、今でも行きたい気持ちを持っています。でも剱岳をやってよかったし、これに挑んだことに意味があると思っています。私の座右の銘は「やらずに後悔するより、やって後悔しろ」なんですが、それをクリアできたし、今後もそうあり続けたいと思っています。
©︎Go Ito
©︎Go Ito
とはいえ、子どもはまだ小さくて、他のプロジェクトも控えています。『MOMENTAL』に100%集中できる環境ではないと思いますが、そういう状況にもどかしさを感じることはありましたか?
いままでは自分一人でしたから、自分のやりたいことに全力を注げていました。けれどもいまは子どもが、家族がいます。アスリートとして最高のパフォーマンスを発揮できる時間は限られているとわかっているけれど、同時に、子どもにとっての母親は私一人。子どもがいて、家族との時間を大切にしながら、それでもアスリート・小野塚彩那としてどんな表現ができるのか。自分ができる範囲で全力を傾けて剱岳に至ったこと、それは自分のなかで一つのアンサーになるし、そこに意義を感じています。
もちろん、もっと体力をつけたかった、もっと練習してクライミングスキルを向上させたかった、そういう反省は山ほどあります。けれども平日は普通の母親業や家事をやっていますし、子どもと一緒にいる時間を犠牲にすることもできません。シーズンに入ると一緒にいられないことが多い分、オフシーズンは子どもとの時間を大切にするって決めているので。
©︎Yuta Watanabe (Denpa Inc.)
でも時間が限られている分、効率を重視して時間をやりくりしています。子どもの保育園の送迎をマウンテンバイクで行うこともあるのですが、子どもを乗せて往復16、7kmをシャカリキに漕いでいたら、いつの間にか下半身が大きくなっていて、今まで履いていたSサイズのパンツが入らない(笑)。トレーニングだけの時間はなかなか取れないけれど、工夫しながら体力の向上に努めています。
THE NORTH FACEアスリートの仲間たちが背中を押してくれる
家族が増え、ライフスタイルが大きく変わっただけでなく、ハーフパイプの競技を引退してフリーライドへ転向したことで、競技者としてのマインドシフトもあったと思います。こうしたプロセスを通じて小野塚さんのなかで生まれたいちばんの変化はどんなことでしょう?
滑りたい、山に行きたい、もっとうまくなりたい。まだうまくなれると思うし、技術の追求に終わりはありません。THE NORTH FACE が掲げる「NEVER STOP EXPLORING」というタグラインは、私のテーマそのものでもあるんです。そして、現在の私の“EXPLORING”を支えてくれているのが、THE NORTH FACEアスリートたち。このチームの一員になれたことで、自分の足で山に上がるおもしろさ、雪のありがたさを知り、私の視野はぐんと広がりました。彼らのやっていることといったら、ヒマラヤの6,000m峰を滑った、8,000m峰に登頂した、キリマンジャロを飛んだとか、ジャンルはそれぞれ違うもののとんでもなくぶっ飛んでいて、そういったみんなの活動が私の刺激になっているんですね。
昨年のアスリートサミットで『MOMENTAL』の話をしたら、みんなが「絶対実現しなよ!」って背中を押してくれたことも忘れられません。今回の剱岳の撮影では松本省二さん(THE NORTH FACEアスリート、山岳/スノーボードガイド)がガイドを務めてくれたんですが、「クライムライドしたいんだ」って話したら「行こうよ!」ってすぐに連れて行ってくれ、それをきっかけにクライミングを始めたんです。山の稜線を見ながら「ここに行けるのかな?」ってぼんやり思うと、「じゃあ行こうよ!」って、導いてくれる仲間がいる。ありがたいですよね。普通じゃないスキルや経験をもった仲間のおかげで、私の探究心は日々、深度を増しているし、やりたいこともますます増えているんです。スキーだけのブランドにいたらこういう誘いはなかったでしょうし、ジャンルを横断する活動もできなかったでしょう。
こういう仲間に刺激を受けて自分の限界値に挑めたことが、今回の最大の収穫だと思っています。
競技者としての自分を支えてくれた、地元への恩返し
アスリートとしての活動に加えて、南魚沼市で「AYANA’S RETURN PROJECT」にも取り組んでおられます。オリンピアン、アスリートとしての活動を支えてくれた地元に、なにか恩返しをしたいという思いで始めたプロジェクトだとか。現在、このプロジェクトがどう動いているのか、どう取り組んでいるのかをお聞かせください。
チャレンジすることの大切さと、雪のある環境がいかに価値あるものなのかを子どもたちに伝えたくて、地元の企業や教育委員会の支援を受けて南魚沼市にある全小学校を回って特別授業を行っています。雪山を滑るスキーヤーの一人として、気候の変化を体感していますし、人一倍、危機感を感じています。けれども豪雪地帯に暮らす大人にとって、雪って身近すぎる存在なんですね。雪を活用することはとても上手なのに、守ることにはなかなか意識が向かない。
私にできることはなんだろう?私たちのフィールドを守っていくために何ができるだろう?その答えは子どもにあると思いました。まず、子どもの意識から変えていこう、子どもたちのアクションを起こしていこう。そう考え、「私たちの未来から雪がなくなったらどうする?」というテーマで、年間600人の児童・生徒に向けて授業を行っています。
魚沼でおいしいお米を食べられるのも、きれいな水で遊べるのも、みんな雪のおかげ。でも雪が降らなくなったら、いままでの当たり前は当たり前でなくなるかもしれない。授業では身近な具体例を挙げながら、いま私たちの周りでなにが起こっているのか、子どもたちが理解しやすいよう、地球温暖化のことをお話ししています。白馬村では、村内のスノーリゾートが一丸となってエネルギーシフトに取り組んでいますが、この町だってそれは可能なはず。実際、授業を行った小学校の一つでは子どもたちが主体的に地球温温暖化やエネルギーシフトについて調べ、それにまつわるポスターを作成して校長室に持っていき、直談判したという、うれしいアクションも起きています。
こうしたアクションをこの町だけで終わらせてはいけない。私が考えているのは、こういう動きをより広範囲に広めること。九州や沖縄など雪の降らない地域生徒たちがスキー合宿に来ますから、その機会を利用して、彼らが宿泊する施設に出向いてこうした授業を行うとか。雪のあるエリアで起きている気候変動をより広い地域に知ってもらうことで、小さなアクションを大きなうねりとすることができるのでは。そんな風に考えています。
啓発活動でいちばん大切なのは、知ってもらうこと。子どもたちが気候変動について知ったことやそれについてどう考えているのか、なにができるのかを家庭で話してもらえれば、大人の意識を変えることができます。大人の意識を変えることでその集落、地域、自治体のマインドセットの変化を促せるかもしれません。いまや大規模なシステムチェンジが必要な段階にきています。「知る」ことは、システムチェンジを促すための種まきなんです。「AYANA’S RETURN PROJECT」で子どもたちに撒いた種が芽吹き、やがて大きなアクションとなる。そう考えてこの取り組みを続けています。
おのづか・あやな
小野塚彩那
1988年生まれ、新潟県塩沢町(現・南魚沼市)出身。プロスキーヤー、POW JAPANアンバサダー。2歳の時にスキーを始め、アルペンスキー、基礎スキーのトップ選手として活躍。2014年、ハーフパイプがオリンピックの正式種目として採用されたことを受け、ハーフパイプに転向。この種目では日本人女性で初めて「X-GAMES」のインビテーションを獲得したほか、2シーズン続けてのW杯年間総合優勝達成、ソチオリンピックで銅メダル獲得、平昌オリンピック5位入賞と、輝かしい成績を残す。2018-19シーズンでハーフパイプ競技からの引退を決め、フリーライドに転向。日本人女性スキーヤーとして初めて、「Freeride World Tour」に参戦。プライベートでは2020年に出産を経験したが、それからわずか2ヶ月後の「JAPAN FREERIDE OPEN 2021」に出場、優勝を果たした。

Photo:Masaru Furuya
Text:Ryoko Kuraishi